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【ボヘミア戦争(続き)】

 

ボヘミア戦争(続き)】
<白山の戦い>
プラハ城窓外放擲事件後、ボヘミアプロテスタント諸候たちは団結し、プファルツ選帝侯(ドイツ中西部のハイデルベルグ周辺)フリードリヒ5世をボヘミア王に擁立し、ハプスブルク家のフェルディナント2世に対抗した。ボヘミア反乱軍は、新教諸侯(ボヘミア、ドイツ、オーストリア)に援軍を求めた。ハプスブルグの仇敵であるサヴォイ侯国(北イタリアと東フランスとスイスにまたがる地域)は稀代の傭兵隊長マンスフェルトに2万の兵をつけボヘミアに派遣した。対するボヘミア反乱鎮圧軍は、カトリック連盟盟主のバイエルン侯国(ミュンヘン周辺)の名将ティリー伯を総司令官として、傭兵軍2万7千人を派遣した。
1620年11月8日、ボヘミア反乱軍と鎮圧軍はボヘミアの首都プラハの近郊の山、白山で激突した。白山の戦いは大規模戦闘というよりも、小規模戦闘であり、わずか1時間続いたにすぎず、4000人の死者を出した反乱軍の敗北となった。鎮圧(皇帝・旧教連盟)軍の死者は数百人であった。
<戦後処理>
戦争そのものは戦略的に取り立ててみるべきものはなかったが、フェルディナント2世の戦後処理が問題となった。反乱の指導者である27名のボヘミア貴族を直ちに処刑し、ボヘミアの658家の貴族と50の都市の領地が没収され、苛烈極まる再カトリック化で約15万人が亡命を余儀なくされた。
写真は「Wikipedia」から引用。

チェコについては若いころは共産圏の国だったので、「プラハの春」「チャスラフスカ」しか知らなかったところ、昨年9月に中欧に行った当時、ガイドに宗教改革の先駆者「ヤン・フス」や「プラハ城」「カレル橋」「バーツラフ広場」を案内してもらったが、ボヘミアは中世の繁栄した地域であったことなど、今やっとその歴史性がわかった。

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